最近よく「マインドフルネス(mindfulness)」という言葉を耳にします。
マインドフルネスに関する本もよく売れているようですし、瞑想を始める人も世界中で増えてきているようです。
マインドフルネスとは仏教におけるサティ(正念)からきており、そこから宗教的要素を除き、瞑想をベースとしたエクササイズ、テクニック、そして状態のことをいうそうです。
Wikipediaによると、マインドフルネスというのは
Wikipedia マインドフルネス
私が個人的にマインドフルネスが大切だなと感じるようになったのは、スマートフォンを使い始めてからだと思っています。
最初の数年は「なんて便利で楽しいものなんだ!」と思っていました。世界中のどこにいても仕事ができるし、買い物もできるし、遠くに住んでいる友達や家族ともつながっていられる。
でも、だんだんと「何か変だな」と感じるようになってきました。
それは例えば、
レストランで食事をしているカップルが、お互いに自分のスマートフォンに見入りながら、一言も会話をしていない
哺乳瓶で赤ん坊にミルクを与えている母親が、もう一つの手では赤ん坊にスマートフォンでビデオを見せている
家族そろってレストランで食事をしている時、子供達にはスマートフォンでアニメを見せておく
みな、大切な人と一緒に食事をしているのにかかわらず、まったく食事や会話に集中していないのです。
食事だけに関わらず、さまざまなことを同時にできるようになった今、私達はひとつのことに集中することがなくなりました。また自分の置かれている現在の状況よりも、他人のしていることや他の場所にいつも気をとられているように思うのです。
マインドフル・イーティング
そんなことを感じていた中、マインドフルネスという言葉をよく聞くようになりました。おそらく、他の人も同じようなことを感じているのだと思います。
自分はここに生きているにもかかわらず、ここにいない状態になっている….。
そして、たまたま病院の待合室でめくっていた雑誌の中で「マインドフルネス・イーティング」という言葉に出会いました。
マインドフル・イーティングとは、今、目の前にあるお料理にまっすぐ向き合って感謝して食べる生活姿勢を意味するそうです。
まさに、今の人々にはこの姿勢が欠けていると思いました。
フランス人と五感で食べるマインドフル・イーティング
そしてふと、フランス人の食生活はマインドフル・イーティングが基本になっている、と思いました。
世間一般がいだいている複雑なフランス料理のイメージとは異なり、フランスでは素材そのものを生かして食べることが多いです。サラダやスープ、肉など、口に入れれば食材そのものの味が感じられるように調理をします。というより、複雑な調理はしないといった方が正しいかもしれません。
それに対局する料理というのは、例えば素材をぐちゃぐちゃにまぜてソースやスパイスをたくさんかけ、食材の味がまったく感じられないものでしょう。
このように素材の味が感じられる食事では、自然と食事に集中してしまいます。
「このキノコ、おいしいね。」「このお魚、どこでとれたんだろう?」と、意識が食べものに向かいます。
また、フランスでは基本的に夕食は家族が集まって一緒にとるものです。シンプルだけれども素材そのものの味がする食事を味わいながら、家族でその日にあった出来事を話します。もちろん、仕事や学校がある平日は、ハムとバターのサンドイッチだけにもなってしまいます。でも、時間のある週末などには、家族や友人と一緒にゆっくりと食事を楽しむのです。
マインドフルネスが話題になっている昨今ですが、フランス人は昔から自然にマインドフル・イーティングを実践しているなぁ、と思いました。
マインドフルネスな生活の第一歩として、食事の間だけでもスマートフォンは遠くにおいて、食べているものに集中してみてはどうでしょうか。